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北斎と栗の町小布施(おぶせ)にながでん電車の広場がある。広場といっても駅構内の測線に2000系D編成が保存してあるだけ。ホームには、樽川第二水力発電所の水車と水圧鉄管は前のように展示されてはいるが。 以前保存展示してあったED5002、デハニ201、モハ604、モハ1003は、廃止になったた屋代線信濃川田駅に移され、マルーン色の2000系A編成、3500系とともにブルーシートを被せられて放置。 須坂駅には新OSカー10:型がずっと留置されている。 その後デハニ201とモハ604は安曇野ちひろ美術館に移設。さらに周辺は整備されて、とっとちゃん広場となっている。モハ1003は、解体の直前に運輸省規格型電車保存会により千葉県いすみ鉄道沿線ぽっぽの丘に一部が保存された。。 ED5002は、JR長野工場の解体を請け負っている長野市大豆島の直富商事に引き取られて、クモハ252-1、DD16 303とともに保存されている。 ![]() ![]() ![]() |
北斎と栗の町小布施(おぶせ)にながでん電車の広場がある。広場といっても駅構内の測線に4両が、屋根付きの車庫のような建物に保存されているだけ。入口や入場料があるわけてはなく、ホームから線路づたいに行くことができるこじんまりしたもの。以前は須坂駅構内の屋根がない場所にED5002とデハニ201が展示保存されていたが、モハ604とモハ1003を加えて、北斎館などの美術館や古い街並が残り栗の産地で有名な小布施に移ってきた。それにともなって特急も全部小布施に停車するようになった。 ![]() 小布施にある博物館や名所が書いてある。この前を通るとでんしゃの広場に行く。 何回か行っているが99年夏に行ってみると、以前とそれほど変わっていなかった。保存車両の塗装もそのままで、多少あせたように思える。駅前からはアンチックな塗装の周遊バスが出ていた。ホームの端の目立たないところには顔を入れて撮る記念写真用の駅長さんと、大正15年の電化時に建設された樽川第二水力発電所の水車と水圧鉄管も展示されている。 ![]() 平成5年、中部電力から寄贈と書かれていた。 料金を取らずにホームから気軽に行けるながでん電車の広場は、車内にも入れて子供や家族連れにはいいのだが、写真を撮りたいファンには辛いかもしれない。先頭にある電気機関車ED5002は撮れるとしても、後ろの車両は撮影することは不可能。須坂にあるときは撮影に不自由はなかった。年に何回か引き出してくれれば喜ばれると思うのだが。 |
日立製作所では、私鉄の機関車として初めて製作したもので、車体は笠戸工場、電装品は日立工場で製作したもの。
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デハニ201として誕生し、昭和4年 モハニ201、昭和28年6月1日 モハニ111、昭和42年9月30日 モハニ131と番号変更をして、客貨物輸送に活躍していた。
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![]() 左の看板は、須坂駅にED5002とデハニ201が展示されていたときのものと思われる。 |
当社発注の全鋼製車4両のうちの1両である。リベット打ちで、いかにも頑丈な車体というなつかしい電車である。
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この年の前年より輸送力強化のため1000系の番号の車両を作り始め、当初の6両のうちの1両で制作当時はモハ1005であった。
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ながてんの赤がえること2500系が展示されていることで有名なトレインギャラリーに行ってきた。私は免許を持っていない今では珍しい人間で、長野駅から屋島行きのバスに乗車。着いたらちょうど運転が始まるときで800円なりを払って入場。家族づれでにぎわう中を、16番スケールの車両がナレーションとともに自動運転。レイアウトの隅にKTMのプレートが就いていたのでカツミ模型製か。展示されている模型の数も個人で収集と書かれていたけどすごい量。トビラにJR東日本にEF63とEF62の譲渡を申し入れていると書かれた紙が貼ってあった。 |
![]() 外観・向かって左がトレインギャラリー、右がレストラン |
![]() トレインギャラリー内の16番大レイアウト |
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99年8月の須坂駅には廃車された3形式が構内に置かれていた。OSカーモハ1+クハ51、2600系T2編成、1500系モハ1501。モハ1501と並んで先頭車が大破された3500系がシートで覆われていた。この3形式ならながてん電車の広場とちがって、写真はいろいろ撮れるのがうれしいところ。 |
モハ1501と先頭大破の3500系の横に特急のA・B・C編成の台車、NA−4P/NA4もシートに隠れていた。3500系と同じ台車に変えたのは本当だった。そしてその後ろに見えるのはブリルMCB形なので、元信濃鉄道のホハ1、長野電鉄へ来てクハ51(2代目)なった車両の台車だと思われる。クハ51(2代目)は、後に車体更新されて1100系になっている。 |
2005年8月に行ったときは、新OSカーが留置されていた。2014年夏でも須坂にあった。信濃川田に持って行けば良かったのにと思うのだが。屋代線は線路が外されてしまったので、もう移動は困難。 |
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昭和60年加悦鉄道が営業停止後、加悦駅構内に「加悦SL広場」がオープン。これを大江山のニッケル輸送の衰退とともに廃止された旧鉱山駅に、平成7年移転。新たに施設を拡充して新しい「加悦SL広場」が誕生した。020年3月31日に加悦SL広場は閉園。現在、特定非営利活動法人加悦鐵道保存会が、加悦鉄道遺産を保存継承している。 |