そろそろ限界??特急車

2000系


モハ2002・2004・2006(A・B・C編成)【竣工図】

A・B編成

昭和32年までは急行列車と言っても1000系、時には戦前製の車両も入り、普通列車となんら変わりがなかった。増える観光客に適応する車両ということで、昭和32年日本車輌東京支店で製造したのが長野電鉄初のロマンスカー2000系2編成6両。長野−湯田中間に転換クロスシートの座席指定の特別特急列車としてデビューした・日本では初めて狭軌75kW、WN駆動装置を採用。これはA・B編成と呼ばれている。車両編成はMTMの3両固定。モハのパンタグラフはサハ寄りに付いている。外観は名古屋鉄道のモ5000形、モ5050形に似てはいるが、車体幅、車体下部、側窓に相違点がある。

C編成

特急列車は観光客・沿線の乗客からも好評を得たが、1日1編成使用だったので車両使用効率が悪く、昭和34年に1編成を増備し毎日2編成使用、1編成予備とし、長野−木島間にも特急の運転を開始した。これをC編成と呼んでいる。A・B編成は窓が上下段とも上昇式であるが、C編成の窓は上段は固定式になっている。タブレット保護棒もA・B編成は2本棒の簡単なもの、C編成は大きなものに変わった。台車はA・B・C編成ともモハがNA−4P、サハはNA4。この台車は富山地方鉄道など当時の日本車輌の地方私鉄向け優等車両にも見られる。C編成登場時はモハの妻寄りにラジオのアンテナがあったが取り外されている。

2000系A〜C編成の台車は軸箱支持方式が天秤ばね形から ウィングばね形に変更。(昭和50年代かと)。 その後、1999年にA編成のみが台車、制御機器を3500系とほぼ同じものに交換。平成17年8月東急8500系の入線と合わせてB編成が廃車。平成18年9月小田急10000系の入線に合わせてC編成が廃車。





モハ2008(D編成)【竣工図】


サハ20542(D編成)【竣工図】

D編成

この後さらにもう1編成を昭和39年8月に増備。ABC編成とはいろいろ異なる部分が多い。台車は国鉄DT24に似ている空気バネ台車採用NA−315(T)に、ベンチレターのカタチも変わり、先頭車にはスカートが付いた。タブレット保護棒はC編成と同じ。D編成登場時はマルーンとクリームを塗り分けで「くりまんじゅう」と言う人もいた。このD編成は、当初名古屋鉄道の特急車や小田急のロマンスカーのように運転席を2階して、前面展望室の計画があったが、長野駅が狭く、運転の安全性から見送られたとか。

平成24年2月、成田エクスプレスに使われていたJR東日本253系2編成の入線にともない廃車された。最後の長野電鉄オリジナル車両だった。小布施の電車の広場に保存展示されている。


吉水さんから「幻のD編成展望車の外観」についてメールをいただきました。

形式図が、鉄道ピクトリアル431号(1984.4)に掲載されています。20メートル級で、名鉄パノラマカーより角ばった感じの車両でした。


←湯田中

電動車(モハ)

付随車(サハ)

長野→

A編成

モハ2001
サハ2051
モハ2002
昭和32年3月製造

平成23年年3月廃車

B編成

モハ2003
サハ2052
モハ2004
昭和32年3月製造

平成17年8月廃車

C編成

モハ2005
サハ2053
モハ2006
昭和34年11月製造

平成18年9月廃車

D編成

モハ2007
サハ2054
モハ2008
昭和39年8月製造

平成24年4月廃車、電車の広場に保存


A・B・C・D編成の相違点
台車
◆A・B・C編成◆
◆D編成◆
NA−4P/NA4
軸箱支持方式は改造前の天秤ばね形
国鉄DT24にそっくりなNA−315(T)
屋根上
◆A・B・C編成◆
◆D編成◆
名鉄モ5000・5050形と同じ屋根上
現在はクーラーと無線アンテナ付き
独自なものに変わった
現在はクーラーと無線アンテナ付き
タブレット保護棒
◆A・B編成◆
◆C・D編成◆
単純に2本の棒だけ
大きなものになった

特急車の塗装
◆チョコレート1色に白線◆

A・B・C編成デビュー当時の塗装
モハ2006【須坂駅】

2000系ロマンスカーがデビューした当時のながでんの塗装はチョコレート1色、白線が特急車の目印だった。これもまた“渋〜い”という感じ。カラーで撮影してないのが残念。現在小布施の「ながでん電車の広場」に保存展示されている車両のチョコレート色よりも、もう少しエンジがかったような色だったような気がするが……。左の写真は側線で休んでいるが、実際はヘッドマークを付けて走った。


◆2色・金太郎塗り分け◆

その後全車に国鉄直流特急車と同じ2色が採用され、特急車は前面の湘南形というか、金太郎の腹掛けのような塗り分けが目印に変わった。市街地立体化工事で無線アンテナが屋根に取り付けられ、方向幕が運転室に取り付けられたが、まだクーラーはない姿。


湯田中で顔を合わせた
長電2000と国鉄169系
田中の駅も半分スイッチバックのようなカタチ。一度ホームを少し通りすぎて、バックする。国鉄の急行169系が屋代で3両切り離され、河東線から本線、山の内線に入り湯田中まで、長野電鉄では特急扱いで走っていた。河東線の特急はこれだけだったので、乗り入れがなくなったあと河東線の特急はない。以前はディーゼル急行のキハ57系の2連も屋代から乗り入れていた。スキー客を乗せた客車を長野電鉄の電気機関車が重連で引いたこともあった。
地下になった【長野駅】のモハ2004
モハ2002【須坂駅】左はOSカー

雪の中を走るD編成【木島駅付近】

◆現在の塗り分け◆

クーラーが付いた現在のD編成の塗装【小布施駅】
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分散形のクーラーが各車2つ屋根上に付いて、塗装も複雑な今風なものに変わった。全線CTCコントロールが実現してタブレットの交換風景もなくなり、保護棒も特急車から外されている。台車も日比谷線のものに履き変えられたものもある(A編成のみが1999年に台車、制御機器を3500系とほぼ同じものに交換)。
転換クロスシートも固定されたようだ。
そろそろ特急の新車を期待している。もしかしたらオリンピックに合わせてと思っていたのだが……。

   

村山橋を渡る【柳原〜村山】
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2005年8月28日にB編成が引退になった。A編成は台車と制御機器を3500系と同じに変えていたため残ったのだろう。
B/C編成は製造時の台車、制御機器だったために廃車に。
B編成は長野駅が地下化されたときの一番列車だった。
左は村山橋を渡るA編成。車体横が広告が貼られている。

   
最後の復活塗装

A編成はデビュー時のマルーン色に塗り替えられた。
マルーン色は私が撮った写真には残念ながらカラーは残っていない。頭に残っている記憶では、もう少し赤い色だったと思うのだけど……。
廃車後は旧信濃川田駅に、旧1000系、ED5000などとともに放置されている活用するという話もあったのだけど予算がないよう。


D編成は小布施の「ながでん電車の広場」に保存された。
その代わり前に保存されていた車両たちは、廃線になった旧信濃川田駅構内にA編成、3500系などとともに放置されている。
D編成以外も貴重。琴電のように復活させて走らせたら人気になると思うけど。
   

模型制作MEMO
2000系D編成◆16番模型化図面
トレーシングペーパーの方眼紙に丸ペンで気合いを入れて作図してあったがフニャフニャになって出てきた。
これを元に作ったのが下。

16番では高校生当時にペーパーでD編成を模型化したものがまだある。当時はいいと思っていたが、ちょっと頭が重い感じで、今見るとアラが目立つ。前面はHゴムを上手に表現していないので京浜急行や東急5000系のように見える。現在のクーラー化された塗り分けははマスキングテープ処理が大変かなっ。

Nゲージで2000系は、グリーンマックスの名鉄キット加工で作成が可能だったので2編製作成。しかし近年2000系がいろいろな塗装で各社から発売された。
上の2つの編成はトミーテック製。左は鉄道コレクション第5弾のA編成。何度もポポンディッタに行ってやっと編成にしたら、右のオープンパッケージで「冷房車A編成3両セット(現行塗装)」が発売。「この後、D編成 リバイバルカラー 3両セット」も発売されて購入。
さらにマイクロエースから最後の、A編成のマルーン塗装とD編成のリンゴ塗装も発売されたので購入。しめて7編成が揃ったというわけ。