小田急から待望の特急車

1000系ゆけむり


【見られるのもあと少しの村山橋を走る】

長野電鉄に大手私鉄の車両が入ってきたのは東急5000系がはじめ。この時は市街地の地下化に合わせて全車両の不燃化工事が必要だったし、長野電鉄オリジナル車両も走っていたから、いつも通勤で乗っていた東急の5000系が走るということで親しみもあった。

次に地下鉄日比谷線の3000系が大量入線すると、ワンマン化できないOSカーなどオリジナル車両が廃車になり、少しさびしい気持になった。さらに東急8500系が入線し特急車2000系のB編成が引退。おいおい全部大手私鉄の車両になってしまうじゃないかという感じに。

さらに小田急ロマンスカーHiSE譲渡のニュース。これを聞いたときは図面まであったが実現されなかった3000系の先頭展望室が実現することで、ワクワクしたのは事実。2000系車両も私が幼稚園のころから走っていて、近年はいささか室内設備も見劣りしていたので良い話しだと思った。

バリアフリー化に対応できないということで余剰になった小田急HiSE10000系2編成が譲渡され平成18年12月9日から長野電鉄の1000系となって走ることになった。HiSEには日本車輌製と川崎重工業製が2編成ずつあって譲渡されたのは川崎重工製。11両編成のHiSEの1・2・10・11号車を使った4両編成に短縮。愛称は一般公募され「ゆけむり」と決まった。個人的にはねう少しモダンな今風なものを望んだのだが。

デビュー前に山ノ内線終点湯田中駅の名物ミニスイッチバックを普通の駅に改修。多分、運転での安全のためではないかと思う。2000系D編成が実現されなかったのは運転上の問題が大きかったと言われているので。

デビュー前の夏、長野に行く機会があって、息子と「行こか」と話しがまとまり須坂に。訓練運転中の2編成が並んでいたが、走る姿は見ることができなかった。年末のデビュー間もないときにに帰省したとき今度は走っている姿が見られるだろうと、長野駅に向かう。地下駅の中央の線路に停車していて、発車までは随分時間があるのに、先頭車の乗降扉には3人、扉の開くのを待っていた。先頭展望室に座りたいという気持は理解できる。小田急よりは座れる確立は高いかもしれない。いっそのこと展望室だけ指定にして高くしても人気はあるのではと思う。

以前の特急主体のダイヤから通勤主体のダイヤになっていて、以前より特急の本数は減っていると感じた。昼間の特急はすべて「ゆけむり」と時刻表にも書かれている。夜の特急にだけ2000系が使われるよう。以前は特急でも停車駅が多くなっていたが、さすがに「ゆけむり」は停車駅は少ない。その方がいいと思う。

ダイヤから見ると途中の須坂駅で上下「ゆけむり」が出会うようになっているようだ。駅には「ゆけむり」デビューのポスターが2種類掲載され、ハンドタオルなどのグッズも販売され、長野電鉄の力のいれようもいつもと違う。須坂駅の工場には廃車になった2000系C編成がヘッドマークを外されて留まっていた。残ったA・D編成が走るのを見られるのもあと少しかもしれない。そうするとオリジナル車両はついにゼロになる。

 

HiSEの長野電鉄での型式は1000系。一時は長野電鉄で主力だった車両が名乗っていたので2代目になる。10000系のままでも良かったと思うけど。1000系は残しておいた方が……。



【須坂駅で上下「ゆけむり」がすれ違うダイヤ】


【須坂駅で元東急8500系と元小田急が並ぶ】


【まもなくなくなる村山橋を渡る】

愛称の一般「ゆけむり」については、個人的はねう少しモダンなもの方が……、と前に書いたが、鉄道ファンではない普通の方や、実際にゆけむりに乗ってみると「ゆむけむり」という名前で良かったのかもと、少し考えが変わった。

というのは、皆、「ゆけむりが……」、「ゆけむりに……」と行っているから。愛称をつけたのは正解かもしれない。特急に乗った子供たちは先頭に走っていくし、終点の湯田中で自動的に客席が回転するのをみて「おっ〜」と行っていたので。

湯田中まで乗ってみるとやっぱり進行方向の展望室は満員。後に行っても窓際は座っていて2列目が空いていたので座る。 途中で窓際の方が降りたので席を移動。やっぱり窓際の方が眺めがいい。

ゆけむりが走る前の特急は信州中野まてせ特急で、その先は各駅停車になっていた。逆に長野発の各駅停車湯田中行きはなし。ゆけむりは信州中野を出ると、次の停車駅は湯田中。長野発の各駅停車はほとんど信州中野行きなので、湯田中までの各停は信州中野発の数本のみ。いずれにしても山ノ内線の乗客は少ないようだ。

ゆけむり導入とともにミニ・スイッチバックをなくす改装をした湯田中に着くと、小さい頃観光バスの中で聞いた曲がスピーカーから流れる。確か藤山一郎の麗しの志賀高原。駅の先に以前は踏切があって、その先は2線の留置線があったが、踏切はなく、留置線の線路は取り払われていた。

ゆけむりの乗車位置はホームにイラスト入りで書かれてあった。それが左上の写真。下は先頭車て゜立って見ている子供たち。天井には小田急時代に受賞したブルーリボン賞のプレート。




【湯田中は新しいホームに停車】

 
【左…長野駅の入口にもゆけむりの看板 右…湯田中駅にはゆけむり会の旗】

 
【左…長野駅の地下ホームに停車中のゆけむり 右…湯田中のなくなった踏切と留置線跡】

模型制作MEMO

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