※昭和48年8月21日から29日まで九州を一周したときのことです。

人吉で途中下車して、うんすんカルタのことを聞きに、球磨川下りの発着場を見て、球磨焼酎の醸造元が点在する道をかなり歩いて、市役所などをまわったが、地元の人はだれも知らずガッカリしたが、大畑ループと吉松のスイッチバックに感激。

伊集院から鹿児島交通のキハ07と同型のキハ100に乗り換える。道床の砂利がほとんどなく、草も生えていて、線路の状態が良くないのにスピードを出すので、乗り心地はすこぶる悪い。

国鉄キハ10と同型のキハ300もあって、国鉄の西鹿児島まで乗り入れていた。途中の加津佐駅が交換駅で、古典木造客車や蒸気機関車が放置されて、夕日が映えている風景が記憶に残っている。

指宿では海岸で砂をかける温泉の有名な風景を車窓から見る。普通国鉄と私鉄が同居している駅は、ホームが別々に分かれていることが多いが、枕崎駅はホームが一緒で線路も駅舎も一緒。区別がない。言葉で表現するのは難しいが、面白い駅だった。

枕崎に泊まる。鰹の豊漁でにぎわっていた。町中あちこちで鰹を干していて、鰹節の臭いがどこでも充満していた。




この後、桜島に寄り、都井岬の野生馬を見て、国民宿舎で同室になった地元の缶詰会社の社員の車に同乗させてもらい宮崎へ。宮崎機関庫にはC61がいた。

筑豊炭田地帯では9600型が働いていた。阿蘇に寄り、帰りに時間が余ったので山口の秋吉洞に行ってみる。ここは思ったより素晴らしかった。すごかった。横にはセメント列車が走っていた。





途中列車交換する加世田駅に、鹿児島交通の前進、南薩鉄道の開業当時の蒸気機関車と思われる。レイアウトの隅の情景に最適。赤いサビのウエザリングは必須。これをペン画で描いたものがどこかにあるはず。さがしてあったらアップします。


ナント!!南薩鉄道の蒸機のペン画が、深夜“うるさい”の声にめげずにガサゴソやったらありました。紙の端が黄色に変色していました。紫のNTラシャに丸ペンで描いたもの。暇と根気があったんだ。


写真から判断すると国鉄の伊集院駅のホーム。地方鉄道の最大のお客様は、通学の学生さん。夕方だったのでにぎやかだったのを覚えている。鹿児島駅には関門デフのC57が貨物列車を引いていた。


鹿児島交通のディーゼルカーは、国鉄の払い下げだと思っていたのですが、調べたら違っていました。国鉄キハ07と同型のキハ100型鹿児島交通自社発注、国鉄キハ10と似ているのキハ300型に至っては、国鉄キハ10より1年半も早く作られています。


この頃、島原鉄道も、鹿児島交通も国鉄と同一規格のディーゼルを作って
島原鉄道は博多まで乗り入れて頑張っていたのに……。