ついでに撮影した特急あさまの塗装が特急標準色なので、多分1990年頃だと思います。社員旅行で「軽井沢」に行きました。一人旅だとめったに泊まらない(泊まれないかな)プリンスホテルに予約してありました。敷地内にゴルフコースやスキー場があって、ホテルの建物も別館とかたくさんあるのですね。その間に木造のコテージが点在していて、私たちはここに泊まりました。まあ、社員旅行と言えば宴会がつきもので、呑兵衛の中には深夜まで騒いで池に落ちた者もいたようです。
翌朝は現地解散・自由行動で、ゴルフやドライブ、こっそり男女カップルで消えた者などもいたようです。私は軽井沢に来たら「草軽電鉄」の跡地を歩いてみたいと思っていたので、本に載っていた路線の記述をたよりに歩き始めました。
草軽の廃線跡が載っていた本
信州の鉄道物語
小林宇一郎・小西純一郎監修 信濃毎日新聞社編
かつての沿線をたどれば
起点の新軽井沢は、信越線軽井沢駅前広場わき(現草軽交通本社)。広場から旧軽井沢に通じる駅前道路東側の家並みの裏を、軌道はほぼ直線で北へ。“軽井沢銀座”と呼ばれる、かつての軽井沢宿の西側が旧軽井沢駅である。
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少し歩くと車の整備工場があって中に入って行くと、タイヤの倉庫が古い貨車で、扉になんと草軽電鉄のマークがかすかに見えるのです。廃車体を利用していたのですね。

元草軽電鉄の貨車を倉庫に利用していた。レールと車輪もあった。
L型電気機関車も保存されているはずなので、整備工場の人に聞いてバスに乗りました。市役所の裏手の本当にわかりずらい場所にひっそりと置いてありました。でも、このようなわかりずらい場所の方がいいのかもしれません。乗車自由で保存してある車両が、ナンバープレートや機器を取られているのを見ましたから。(※現在は、軽井沢駅前に移動されて保存されています。)

上の写真の説明文
草軽電鉄電気機関車
この機関車はデキ12形機関車といいアメリカのジェフリー社で大正九年に製作したハンドブレーキ常用、非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造したものである。
大正四年七月より草軽軽便鉄道営業を開始、大正十五年軽井沢〜草津間(五十五、五キロ)の電化が完成してから、昭和三十七年一月三十一日路線を廃止するまでの約三十五年の間、地元民の足として、また旅行者・避暑客の良き案内人として親しまれた電気機関車である。
軽井沢町教育委員会
軽井沢町文化財審議委員会
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運転室はものすごく狭い。
運転室に入ってみると窮屈そのもの。草軽の走行風景が「カラー」で最も見ることができるのは、日本初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」でしょう。失敗したことを考えて、カラーとモノクロの両方を撮影したという日本の映画史上に残る映画で、初のカラーということを差し引いても、なかなかオモシロイ映画だと思います。また、草軽電鉄が頻繁に登場することでも貴重といえます。1998年の月刊「旅」創刊480号記念に草軽電鉄の廃線跡とカルメン故郷に帰るについて、かなり詳しく書かれています。市販の雑誌なのでタクシーで行ったり、私とは金のかけ方が違いますので興味のある方はどうぞ。
不安だったので月刊「旅」の草軽電鉄の部分を図書館で確認しました。間違いがあったので修正しておきます。また、映画に出てくる「草軽電鉄」が書いてありました。以下です。
「旅」創刊850号記念特大号
映画の舞台へ---野ゆき町ゆき海辺ゆき(7)
「カルメン故郷に帰る」と草軽電鉄追慕行
文・写真 川本三郎
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上記による映画に出てくる「草軽電鉄」
昭和32年「山鳩」
丸山誠治監督
森繁久彌・岡田茉莉子 主演
小瀬温泉駅を「落葉松沢」という架空の駅名にしたという。
昭和8年「彼女はいやと言いました」
桑野通子・斉藤達雄 主演
昭和26年「善魔」
木下恵介監督
三國連太郎 主演
昭和30年「ここに泉あり」
今井正監督
岡田英次・岸恵子 主演
昭和25年「カルメン故郷へ帰る」
高峰秀子 主演
浅間牧場が舞台
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アプト式電気機関車ED42がなぜか横川駅構内に置かれていた。