18トンシェイ | 28トンシェイ | 78年5月 | 82年7月 | 太平山林場森林鐵道 | ライブラリー



初めに行ったときの乗車券は全部硬券
2回目に行ったときは硬券は半分位になっていた

太平山林場森林鐵道の乗車券

太平山林場森林鐵道ののどかな風景
 
 

【1978年5月】

台湾の阿里山へは、2回足を運びました。阿里山に憧れたのは「鉄道賛歌」で、シェィと運材車がながくて高い木の橋を渡る姿を見てからですね。阿里山に行ったのは、生まれて初めての海外旅行ということになります。

現在、空港は台北の南にある「花園空港」ですが、初めに行ったときは台北で空軍と共用、窓から見ると戦闘機が発着していました。絶対写真を撮ってはいけないと言われました。また、鉄道もときどき戦車や兵隊を乗せた列車が走っていて、これも撮影厳禁といわれたものです。そう、中国本土とは臨戦態勢だったのです。

幹線には、台湾総督府鉄道部の発注した日本の蒸機機関車がかなり走っていて、原形を保っていました。日本では蒸機は少なくなっていたのです。C55、C57、D51、8620、9600などが走っていたはず・・・。私は阿里山のシェイが目的だったし、大きなのは興味あまりないのですよ。

台北周辺から電化が始まり、ピカピカのイギリス製の電機機関車、電車が走っていました。そうそう、台湾の列車に乗ると蓋の付いたコップにお茶のサービスがあります。普通列車でもアルマイトの凹凸のヤカンにお茶を入れて、何杯でも注いで回ってくれるのです。いいかげん腹が受け付けなくなって困っていると、蓋を逆にしておくと注がないよと、教えてくれました。

阿里山に行く前に「太平山林場森林鐵道」に寄りました。私は阿里山が目的だったので感激はそれほどありませんでした。

 







阿里山森林鐵路の切符
中興号はディーゼルの特急列車


阿里山では雲が下に見える


停車すると物売りのおばさんが来た。


台風の土砂崩れで横転した客車。
横を歩くのは、車掌さん。
 

台湾の人は玉山(日本名は、あのニイタカヤマノボレで有名な新高山)の日の出を見物に列車で来ます。宿は山小屋のようなもので壁はベニヤ一枚。4時ごろ、宿の人がドアを叩いて起こします。こちらはもっと寝ていたいのに、ドアを叩く音と、隣の話し声でどうしても眼が醒めてしまいます。

だから阿里山は、雲が眼下に見えるところにあります。木造の機関庫のシェイはいつも火が入っていましたが、構内の隅に鉄条網で囲われて使われないシェイが置かれていました。

1回目に行ったときは、既に本線の運材列車はなくなっていました。阿里山構内の入れ替えと、林場線に一日一往復職員の行き来に18トン・シェイが使用されていました。

林場線に行く列車が走って行ったので、慌てて追いかけ飛び乗りホッとしていると、夜まで帰ってこれないよと声をかけられ、慌てて走っている列車から降りたのでした。午後の山を下る列車で台北に向かうことになっていたのです。いやに足が涼しいので見ると、降りたときにはいていたジーンズが股から下まで裂けていました。

高い阿里山から列車で下ると、植物の分布が寒帯、温帯、亜熱帯と変化するのが窓から眺められます。駅に止ると物売りが寄ってきます。ヤクルトなんか日本より5倍くらい大きい容器に入っていて、特にビニール袋に入れて売っていたパイナップルの味は絶品でした。まさに完熟。

北門駅に工場があって、古い車体や工具類がゴチャゴチャしていて面白そうだったのですが、時間がなく残念ながら素通り。幹線との接続駅は嘉義、精糖工場へ行く軽便の引き込み線かありました。

この旅行に行く前に、台湾に台風が来て、土砂崩れで線路が流失して、車両が横転している光景に会いました。そのお陰で、帰りの飛行機に間に合わず、高雄のホテルで飛行機の空席があるまで待ちました。